今日は私の仕事について

私は高校を卒業してすぐ介護施設へ就職しました。

小さい頃から曾祖父母の介護を在宅でしていたのでなんの抵抗もなかったんですね。

さらに母や親戚、従姉妹も医療福祉関係の仕事をしている人がほとんどだったので夢でもありました。


介護の仕事を始めてたくさんの乗り越えなければいけない壁がありました。

1番最初は資格を持って入社した事で「できるでしょ?」と思われてしまったことです。

実は高校時代に実務者研修を取得していたのです。

この資格は勉強と実技の研修、テストをクリアすることで取ることができたので実際現場では経験がなかったです。

しかし資格があるということで教えてもらえなかったんです。

おむつ交換や移乗は今でもこれで合っているのか不安です。


人間関係やコミュニケーションは永遠の悩みですね💦


施設で5年10ヶ月働き、介護福祉士も取得していたので

もっと経験と知識を増やしたくて重度訪問介護へ転職しました。


施設での経験と知識が良い面と悪い面であるんですね。

正解が見えないという壁もありました。

でもやっぱり曲げられないのは

笑顔になってもらいたいと言う私の願いですね

1日1回笑ってもらう、笑わせる

これだけで楽しいんですよ。


つらい仕事もちょっと笑う時間があると少しだけ気持ちが楽になります。


来年も笑って仕事できたらいいな…。

今日は定期受診の日でした。

2週間から4週間の間隔をあけて定期受診しております。

話す事が苦手な私は毎回ノートに今の気持ちやこの日は辛かったなどを書き留めてそれを頼りに診察してもらってます。


今月に入り仕事が忙しくなり、休む所もなく状態が良くないのは自覚していたのですが…頓服ではどうにもならないほどの興奮状態になったり、子どものように泣いて叫んだり…酷いものでした。


そして今日薬でどうにかならないか相談をしました。

結果はこれ以上薬ではどうにもできないということでした。

正直に言うとつらいですね…。

環境が変わったらもしかしたら楽になるかもしれない。

そうかもしれないけど、すごく私にとっては恐怖なんですね。


そんなこんなでちょっとの期待を込めて薬を1種類変更していく事になりました。


少しでも興奮状態とかならずに彼へ迷惑をかけないで正月を迎えたいと思います。

はじめまして

今日から記録と日記としてブログを書こうと思います。


20歳で愛着障害、複雑性PTSDと診断され誰にも受けいれて貰えず25歳になってしまいました。

現在付き合っている方はいますが、症状を理解されずそれが原因となり何度も何度も別れの危機が起こっているそんな日のブログです。


病気として受け入れるのか障がいとして受け入れるのか

それだけでもかなり大きな差がうまれるような気持ちですね。

「障がいだから仕方ない」

「病気だから治るだろう」

私は「障がいだから仕方ない」の方が気持ち的に楽です。

主治医から「大葉さんの場合は治すことはほぼ不可能です。薬で症状を緩和させることしかできません。」とはっきり言われてしまいました。

その瞬間少しゾッとしたのを覚えています。


これを家族には伝えることはせず、障害者手帳もつくらずゆーっくり向き合える日が来るのをここで書いていこうと思います。


よろしくお願いしますm(_ _)m